『始まりのことば』は、366日にそれぞれ聖書の言葉が書かれ、短い片柳神父の言葉が書いてあります。聖書はなかなか難しいと思う方にとっては、キリスト教の考え方を知る案内役になってくれる本です。
私は個人的に、片柳神父のブログやTwitterを通してだけでも、聖書の素敵さが十分伝わると想います。しかし、この書籍に書かれている片柳神父の解説がわかりやすいので、聖書がグンと身近に感じられました。
私は、片柳神父の書籍に出会う前までは、「よい子でないと神さまに愛されない」と、神様の愛を誤解してしまいました。しかし本書を通して語られる神様の愛を知り、私の神様ってこんなに素敵なの!と思いました。
例えば本書のあるページを開くと、
「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。(エレ31・3)」の聖書箇所が書かれ、片柳神父は「神さまの愛は無条件。わたしたちが、わたしたちだというだけで、いつまでも変わらずに愛してくださるのです。無条件の愛は、終わることがありません。」と解説しています。弱くて欠点がある私だけれども、そのままの私を愛してくださる神さまがいるんだ、と思うだけでなんだか安心しました。
私は、自分の過去に犯した失敗がおおすぎて、罪悪感でいっぱいでした。自分を赦したくても、つい自分を傷つけてしまう私がいました。しかし、片柳神父の語るメッセージを通して、神さまに赦されている自分を知りました。神さまが赦してくださるのに、それを拒否するのは謙虚ではなく傲慢だと思いました。なぜなら、聖書には「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。(コロ3・13)」と書かれているからです。神さま(主)があなたがたを赦したというのに「そんなのは信じられません」と言うのは、人間の傲慢さだと思います。聖書の語りかけをまっすぐ信じ、自分を赦し他人を赦し、力をあわせて生きてゆきたいという思いを与えてくれる素敵な本でした。
★外部サイト
本のひろばより、望月さんより批評があります。PDFファイルです。ズームしたらみやすいです。https://honhiro.com/wp-content/uploads/2022/02/2019_05.pdf
1月2日より
神はお造りになった
すべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった。
(創1・31)
~片柳神父は「神さまがお造りになったものに、失敗作はありません。わたしたちは誰もが、神さまの最高傑作なのです。」と書いています。
時に「自分はつまらないんだ」と否定してしまうとき、「私は神様に愛され大切につくられた」ことを思いだしたいです。神さまに失敗はなくだれもが愛されている存在に感謝です。
1月3日より
生かすためにこそ
神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
(知1・14)
~片柳神父は「神さまは、わたしたちが生きることを望んでおられます。すべての命はかけがえのない命。生きる意味のない命など、一つとして存在しないのです。」と書いています。
知とは、知恵の書(wikipedia)のことでカトリック教会では正典として認められています。ユダヤ教やプロテスタント教会からは認められていません。
神さまは私たちが何か特別なことができるからではなく、弱く不完全であっても、私たちを大切に受け止めてくださることに感謝します。
1月11日より
(主よ)あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが、果たしてあるだろうか。
(知11・25)
~片柳神父は「神さまが望まなければ、わたしたちは存在しなかったでしょう。誰もが、望まれて生まれてきた、神さまの子供なのです」と書いています。
命の価値は人間が優劣を決められるのではなく、神さまが決められ、誰もが「あなたには生きているだけで価値があり、大切な存在」と神さまは呼びかけてくださると思いました。「私は愛され、望まれて生まれてきた」と確信できますように。
2月19日より
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
(マタイ11・28)
~神さまの前に荷物を置き、苦しい気持ちを打ち明けましょう。わたしたちが差し出した苦しさを、神さまはしっかり受け止め、共に担ってくださいます。
片柳弘史著『始まりのことば』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
重たい荷物だと、せっかくの旅行も台無しになると思いました。必要最小限のもので感謝し、荷物を軽くして、楽しく旅をしてゆけますように。また疲れたときは進むだけではなく、ゆっくり宿ど休んでもよいのではないでしょうか。疲れた時は体をいたわってあげられますように。
2月20日より
あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え、とこしえに
動揺しないように計らってくださる。
(詩編55・23)
~押しつぶされてしまう前に、背負っている重荷を神さまの手にゆだねましょう。何もかも一人で背負う必要はありません。
片柳弘史著『始まりのことば』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
プライドや見栄など気にしていると、重たい荷物となってしまうと思いました。他人より評価されたいとか目立ちたいや、特別なことをしなければならないなど、きりがないかもしれません。その心理の裏には、「いまの自分では認められない」という、自己否定があると私は思いました。
しかし神さまは、どんなに弱さがあっても私たちを喜んでくださる方。神様に愛されている喜びだけで満足できたら、荷物は軽くなると思いました。
3月3日より
疑う者は、風に吹かれて揺れ動く
海の波に似ています。・・・。
心が定まらず、
生き方全体に安定を欠く人です。
~「わたしは愛されている。わたしの人生には意味がある」。その確信こそが、人生の揺るがぬ土台。疑いや不安を取り除き、土台をしっかり固めましょう。
(ヤコ1・6)
片柳弘史著『始まりのことば』 (教文館)より
※本を読んで思ったことです。
神さまの愛を疑い、「私は神様に愛されていない」と落ち込んでしまう時があります。しかし、神さまの愛は変わらないものだと思います。疑いをとりのぞき、神さまの愛を信頼することができますように。
3月21日より
あなたはわたしの愛する子、
わたしの心に敵う者。
(マコ1・11)
~「天から響いたその声は、今もわたしたちの心の中に響き続けています。わたしたちは誰もが、神さまから愛された、神さまの子どもなのです。」
片柳弘史著『始まりのことば』 (教文館)より
※本を読んで思ったことです。
自分がわからなくなる時は、何か特別なことができないと価値がない、と誤解してしまうからだと思います。ただ生きているだけで、私たちを喜んでくださるのが、神さまの愛だと思います。
6月7日より
祈り求めるものは
すべて既に得られたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。
~「神さまは、もうずっと前からわたしたちのことを愛しておられます。神さまの愛を受け取るには、ただ、信じて心を開けばいいのです。」
(マルコ11・24)
片柳弘史著『始まりのことば』 (教文館)より
※本を読んで思ったことです。
固い心では「絶対にこうでなければならない」と思い込んでしまい、「強い人だけが神様に愛される」と誤解してしまう時があります。心を柔らかくして「私は愛されている」と受け取り、心を開くことができますように。
5月17日より
さあ、あなたがただけで
人里離れたところへ行って、
しばらく休むが良い。
(マコ6・31)
~片柳神父は「愛の奉仕ばかり熱心で、愛されることを軽んじるなら、愛は壊れてしまいます。ゆっくり休んで神さまと向かい合い、愛をたっぷり受け止めるための時間、祈りの時間を大切にしましょう。」と書いています。
ゆとりがなくなってくると、疲れがたまり、何事もネガティブになってしまいます。愛することも大切ですが、愛される時間や、休む時間も同じくらい大切だと思います。愛するためにも、ゆっくり休む時間をもてますように。
3月7日より
自分を低くして、
この子供のようになる人が、
天の国で一番偉いのだ。
(マタ18・4)
~片柳神父は、「誰がいちばん偉いのですか」と尋ねる弟子たちに、イエスはこう答えました。神さまの愛を信じて疑わず、人と自分を比べない子供たちこそ、天の国でいちばん偉いのです。と書いています。
大人になると、どうしても「特別な才能がないと愛されない」と思ってしまいます。しかし神さまは、私たちが生きているだけで喜んでくださる方。子供のように神さまの愛を疑わずに「私は愛されている」と信ずることができますように。
5月4日より
うろたえてはならない。
おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、
主は共におられる。
(ヨシュ1・9)
~片柳神父は、すべてを自分の力でしようと思えば、恐れや不安に陥ります。「神さま、わたしを使ってあなたの思いを実現してください」と祈れば、あとのことは神さまがしてくださるでしょう。と、書いています。
なにもかも一人だと不安になる時があります。しかし、誰かが一緒に歩いてくれると、いけなかった場所にも行けるようになります。なにもかも1人で抱えこまずに、互いに助けあってゆけますように。
5月5日より
朝早くからまだ暗いうちに、
イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、
そこで祈っておられた。
(マコ1・35)
~片柳神父は、「あれもしなければ、これもしなければ」と考えて一日を始めれば、仕事追われて一日が終わります。「何をすべきでしょうか」と神さまに尋ねて一日を始めれば、一日を神さまに捧げることができます。と、書いています。
バタバタと慌ててしまい、くたびれてしまうことがあります。優先順位を神様に聞いてみたら、神さまは教えてくださると思います。なにもかもできなくても、小さいことを真心をこめできますように。
7月14日より
食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに
見つかったからだ
(ルカ15・23-24)
~片柳神父は、「もうだめだ。取り返しがつかない」と決めつける必要はありません。神さまは、取り返しがつかないほどの間違いさえ、ゆるす力をもっておられるからです。と、書いています。完璧になれないのに、背伸びして完璧になろうとするのは悲劇ではないでしょうか。弱さがあったら見捨てられるというのは誤解で、弱さがあっても神さまは愛してくださる方。神さまの変わらない愛を信頼することができますように。
11月28日より
この大祭司は、
わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、
あらゆる点において、
わたしたちと同様に
試練に遇われたのです。
(ヘブ4・15)
~片柳神父は「弱さを隠す必要はありません。イエスは人間の弱さを十分に知り、それでも人間を見捨てなかった方。弱いわたしたちを、そのまま受け入れてくださる方なのです。」と書いています。
人には光と闇があります。光だけになりたくても、人間であるかぎり闇はなくなりません。しかし、それにもかかわらず、神さまはそのままを受け入れてくださる方。自分の闇(弱さ)をゆるされているのですから、他人の弱さも互いにゆるしあうことができますように。
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