あなたは大切な存在~『こころの深呼吸』を読んで


目次

1、あなたは大切な存在

2、ちょうどよいサイズの自分で

3、ゆるされて生きる

4、愛し愛される時間

5、マザー・テレサの言葉より。一人ひとりは神様の最高傑作


1、あなた大切な存在

 自分とは何か見失っているとき、この本を開けば、自分とはどんな存在なのか、気づかせてくれます。

『こころの深呼吸』3月23日には、『「隣人を自分のように愛しなさい」と言いますが、人間は、自分を愛するようにしか隣人を愛することができません。自分を厳しく裁いて駄目な人間だと決めつける人は、隣人も同じように厳しく裁いてしまうのです。まずは、自分を愛することから始めましょう。』と、自分を大切にするところからはじめてゆきましょう、と呼びかけています。失敗続きの連続や、仕事がなかなかうまくいかないときには、自分を愛することは難しく感じられるかもしれません。そんなときどうしたらよいのか『こころの深呼吸』から、考えてみました

 


2、ちょうどよいサイズの自分で

 『こころの深呼吸』12月7日のページを開いてみると、自分を大切にするためのヒントが隠されている気がします。それは、「1人ひとりに、神さまが与えて下さったかけがえのないよさがあるからです。自分のよさも限界もあるがままに認められる人こそ、真に謙遜な人です。」という文章です。ここには、自分の限界(弱さ)を、あるがままに受け入れられる人こそ、真に謙遜な人だと書かれています。自分で、「あれも自分でしなければ、これも自分でしなければ」と、一人のみで力でしようとしなくてもよいのです。

 『こころの深呼吸』11月9日には「何もできなかったとしても、人間には、生きているというだけで価値がある」と語るように、特別なことはできなくても、生きているだけで価値があるのです。

 『こころの深呼吸』12月22日の文章は、『人と同じことができないからと言って、自分を責める必要はありません。人と同じことではなく、自分がすべきことをすればいいのです。大切なのは、人と同じものになることではなく、自分自身になることです。』と書いてあります。ここに、人が幸せになるヒントが隠されている気がします。それは、神さまに作られた、ありのままの自分を受け入れる、ということです。神さまは、一人一人に違う役割を与えられました。すべての人が、同じことができるはずはありません。

 『こころの深呼吸』3月13日の文章は、『幸せになるのは、とても簡単。幸せになりたいなら、もう出来なくなったことを嘆くのをやめ、まだ出来ることがあるのを喜びましょう。まだ持っていないものをうらやむのをやめ、もう持っているものに感謝しましょう。』と書いています。神さまが自分に与えてくださった自分自身で良いんだ、と確信するときに、「自分は大切な存在なんだ」という希望の力が生まれてくるのではないでしょうか。

 


3、ゆるされて生きる

『こころの深呼吸』5月29日には『相手がゆるしてくれたとしても、「こんなことをしたのだから、ゆるされるはずがない」と自分で決めつけていれば、ゆるされたことになりません。自分で自分をゆるせない限り、わたしたちは決してゆるされないのです。』と書いています。神さまが、あなたを赦しますといってもそれを信じられないかぎり、赦されたことになりません。立派な行いや、他人の評価によって赦されるのではありません。イエスから「あなたは赦される!」と言ってくださるからこそ、自分を赦せるのだと思います。自分を許せない人は、それが相手へ攻撃となってむかっていくと思います。

言葉の暴力や、DV、その他さまざまないじめは、自分を大切にできないところから、悲劇がうまれると思います。私たちが、助け合っていきていくためには、自分を愛し、自分をありのまま赦すことが大切ではないでしょうか。神さまの赦しをまっすぐに信じ、自分を赦し、他人を赦すことができますように。 

 


4、愛し愛される時間

与えるだけの愛も、受け取るだけの愛も不完全です。真実の愛は、愛し、愛される交わりの中にこそあるのです。愛することに忙しい人は、愛されるための時間をとりましょう。愛されるばかりの人は、愛するための時間をとりましょう。

片柳弘史著『こころの深呼吸』(教文館刊)

現代は、「しっかりしてしなさい」と言われることがあります。しかし人は、背伸びばかりして神経を使っていると、疲れはててしまうと思います。愛することで人を助けることは大切ですが、同じくらい愛される時間が大切だと、「こころの深呼吸」は語ります。

しかし、愛を人間だけに求めては、必ず限界がきてしまいます。そこで、キリスト者は神さまとの関係を大切にしてきました。イエスは、私たちが弱く不完全であっても、「わたしはあなたを愛している」と呼びかけてくださる方です。

マザーは、そんな弱さを抱えているわたしたちに次のように語ります。「わたしの子どもたち、イエスから愛されるために、自分と違ったものになる必要はないのですよ。信じなさい、あなたたちはイエスにとってかけがえのないものなのです。
イエスから愛されるために、実際の自分より優れた者になる必要などまったくありません。イエスは、弱くて不完全なわたしたちを、ありのまま、無条件に愛してくださる方なのです。・・・。「ありのままの自分を受け入れる」というと、「努力しなくてもいいのか」と思う人がいるかもしれませんが、それは違います。むしろ逆に、ありのままの自分の不完全さ、欠点を認められるからこそ、それを克服するために努力できるのです。

片柳弘史著『祈りへの旅立ち』(ドン・ボスコ社)
背伸びばかりしていては、疲れはててしまいます。人間は年齢とともに、更年期障害や、年をとるほど「自分がしっかりしなきゃ」と焦ってしまいます。しかし、人は誰かに甘え、等身大の自分を愛されて、乾いた心に癒しの雨がふると思います。それによって、心はリフレッシュして、「今日も生きよう」とする力が与えられると思います。愛されるために違った人になる必要はないと思います。肩の力をぬいて、愛し愛される関係を大切にして、自然体の自分ですごしてゆけますように。

5、マザー・テレサの言葉より。一人ひとりは神様の最高傑作

『日めくり超訳マザー・テレサ』(PHP)
『日めくり超訳マザー・テレサ』(PHP)

片柳弘史著『ほんとうの自分になるためにには、マザー・テレサの「失敗作などありません。一人ひとりが神さまの最高傑作なのです」という言葉を引用して、片柳神父は次のように言います。「わたしたち一人ひとりが、神さまによって創られた最高傑作だとマザー・テレサは言います。神さまは、優れた芸術家と同じで、作品を創るときに決して妥協しません。これ以上ないというくらい完璧に仕上げてこの世界に送り出します。わたしたちは、誰もが神さまの最高傑作なのです。」


私はいつも「他人からああ言われた、こう言われた」と、評価を気にし焦った日々をおくっていました。他人の評価に敏感なのは、自分の中でちゃんとした土台がなかったからでしょう。神さまからの愛を、自分の人生の土台にすれば良いのに、他人の評価を人生の土台にしていたら、困難が来たら土台ごとながされてしまいます。神さまの愛を思い出し、そこから人生をもう一度整えると、その後の人生がずっと楽になるようになったと思います。