片柳弘史著『世界で一番たいせつなあなたへ』(PHP刊)を読んで


世界で一番たいせつなあなたへ
世界で一番たいせつなあなたへ

自分をゆるす

片柳神父は、「周りの人から受け入れられず、自分でさえ自分を受け入れられないときでも、神さまはあなたを受け入れて下さいます。」

というマザー・テレサの言葉を紹介して、次のように本書でいいます。

わたしたちは、自分で勝手に「こんなはず」の自分、理想の自分を作り上げ、その理想通りにならない自分を責めてしまうのです。わたしたちを苦しめるのは、起こったそのものではなく、実はわたしたち自身なのです。

「自分でさえ自分を受け入れられないときでも、神さまはあなたを受け入れて下さいます」とマザー・テレサは言います。神さまがありのままのわたしたちを受け入れて下さっているのに、「いえ、それでもわたしは自分を受け入れられません」と言い張って、自分を苦しめる必要があるでしょうか。自分で自分を苦しめるのはもうやめましょう。自分をゆるしてあげましょう。

片柳弘史著『世界で一番たいせつなあなたへ』 (PHP刊)より


これを読んで、わたしの心には「こうでなければならない」という思い込みが生活のなかで沢山あることに気づきました。自分の考え方に縛られすぎると、「自分は正しく相手は間違っている」と決めてしまいやすいと思います。

特に宗教は気を付けなければ、「自分の組織だけが真理で、あとは偽りだ」と思って、周りをライバルとしてしまう危険性があると思います。そして相手に「こうでなければならない」と押し付けてしまいます。一番犠牲になるのはそばにいる子供で、自由がなくなり、お互いにヘトヘトになってしまうと思います。

道端に咲く花が、もし黄色だけだったら美しさは半減してしまうと思います。赤や黄色や白のチューリップは色は違うけれど、違いがあるから美しいのではないでしょうか。

自分の宗教の正しさを熱心に主張するよりも、異なる意見に耳を傾けることは大切だと、自然にある花を通して神さまが教えてくれているような気がします。

ひとりひとりは個性があります。それを無理やり変える必要はないと、私は思います。なぜなら、ひとりひとりは神さまに大切につくられた最高傑作だからです。タンポポがアジサイよりすぐれていて、桜がタンポポより優れているとはいえなく、どれも美しいと思います。神さまにつくられた、あなたがあなたであること。それで十分だと思います。


愛されるために、他の人にならなくてもいい

片柳神父は、マザー・テレサの「愛されるために、自分と違ったものに、なる必要はないのですよ。ありのままで愛されるためには、ただ心を開くだけでいいのです」という言葉を紹介して、次のように言います。

「何かができなければ、わたしには愛される価値がない」という思い込みを捨て、無条件の愛に心を開けばいいのです。何かが「できる」からではなく、わたしたちがわたしたち「である」という理由だけで、わたしたちを受け入れてくれる愛がある。そのことを信じればいいのです。

 

~私は、自分がそもそも嫌いです。成功体験が、少なく、いつも「あなたは仕事ができない人」と評価されてきました。自分を肯定するのが、できないんですよね。

しかし、マザー・テレサは「愛されるために、変わらなくていい」と語っています。「え?いまの、こんな失敗だらけのわたしでいいの?」と思いました。それから、「私は今日も神さまに愛されている」と思うことを、生活の中に取り入れてみました。一方では「あなたには価値がない」という声がきこえ、他方では「あなたは大切な存在」ときこえてきました。現在も、半々ですね。しかし苦しいときは、マザー・テレサの言葉を思い出すと、不思議に安心してゆきます。

「本当に私でいいのかな?取り柄もないよ?迷惑ばかりかけているよ?」と、わたしは思ってしまいますが、それでも神様の愛を信じ、歩んでゆきたいです。

 


評価に左右されない

片柳神父は「ありのままの自分を受け入れることができれば、どんな悪口もあなたを傷つけることができないし、どんな称賛もあなたを思い上がらせることができません」というマザー・テレサの言葉を紹介して次のように言います。

弱くて不完全な自分を、それでもかけがえのない大切な存在として受け入れた人は、悪口によって傷つけられることも、お世辞を言われて思い上がることもありません。どんなときでも、ありのままの自分を、自然体で生きることができるのです。

 

~私は他人の評価を気にしてしまいます。それは、他人の評価を軸に生きているからかもしれません。何を土台として生きるかで、メンタルヘルスは変わってくると思います。誰からも評価されなくても、聖書を読み「私はあなたを愛している」というイエスの愛を受け入れるとき、なんだかホッとするように感じます。なぜなら、人は感情があり、気持ちがコロコロかわりますが、イエスの愛は変わることがないからです。「私は神さまに愛されているから、それだけで十分だ」と確信するとき、周りの評価から自由になって、自然体で生きられる気がします。


できないことがあってもいい

片柳神父は「わたしにできないことが、あなたにはできます。あなたにはできないことが、わたしにはできます。力を合わせれば、きっとすばらしいことができるでしょう」という、マザー・テレサの言葉を引用して、次のように言います。

人と自分を比べるとき、わたしたちはどうしても、自分にできないことを気にしてしまいます。そして、悲観的になって「自分には何もできない」と思い込んでしまうのです。でも、そんなことはありません。わたしたちにも、必ずできることがあります。ただ、できることが他の人とは違うだけなのです。1人ひとりが、自分にできることを精一杯することで、わたしたちはすばらしい世界を作り上げてゆくことができる。マザーは、そう考えていました。

 

私はつい焦ってしまい、完璧主義を目指してしまいます。完璧主義をやめて、できないことは素直にサポートを求めれば楽になるのに、私はごう慢ですよね。自分の弱さを隠そうとして必死に強がってしまいます。一人でなにもかも背負うとクタクタになってしまいます。

マザー・テレサは、「人にはできること、できないことがある」と言います。完璧主義をやめて等身大の自分で過ごしてゆきたいと思いました。

余談ですが、完璧主義をなぜしてしまうかは、すべてを自分の思いどおりにしないと、気がすまないからかもしれません。自分が全てをコントロールしようとすると、周りの空気はピリピリ緊張すると思います。しかし、おおらかになると、リラックスして、暖かい空気がながれます。

一人でなにもかもする必要はなく、「神様の手におゆだねします」と、神さまに信頼するとき、重たい荷物を減らすことができると思います。要らないプライドは捨てて、身軽になってすごしてゆけますように。荷物が軽いと旅も楽しくなるでしょう。