弱さをかんじるとき~『こころの深呼吸』より


目次

1、充電期間

2、こんなときもあっていい

3、間違ってもやりなおせます

4、マザー・テレサの言葉より


1、充電期間

人間は時に疲れ果てて動けなくなってしまう時があります。今までできていたこともできなくなってしまうことがあります。ここでは、『こころの深呼吸』から、病気や心に元気がなくなったときにどうしたらよいのか、考えてみます。

 3月8日の文章には、『心が疲れて動かないときは、「いま、わたしの心は少しずつエネルギーを蓄えている。いつか必ず動き出す時が来る」と信じて、ゆっくり休むのが一番。美しい蝶になるためには、蛹の中で待つ時間も必要なのです。』と書かれています。

 私の別のHPで『「イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。」(ヨハネ福音書4章)人は走り続けることはでません。どこかで休憩が必要です。人生でも同じです。すべての力をつかいはたし空になってしまった時、充電が必要です。ゆっくり休み、ゆっくり寝て、おいしいものを食べて、焦らずに待ちましょう。』と書かせていただきました。イエス様でさえ人間として体力の限界があり、旅に疲れて井戸のそばで休またのです。人間には、弱ったり、心の病になることがあります。周りは、「元気をだして」とか「早くよくなって」とか励ましてくれるのですが、その言葉がつらい時があります。

 『こころの深呼吸』3月12日を開くと、『深く傷ついてうずくまっている人に、「そんな傷のことは早く忘れて、立ち上がりなさい」と言っても無理なこと。わたしたちにできるのは、傷が癒えて立ち上がれるまで、その人に寄り添うことだけです。』と書かれています。『こころの深呼吸』12月12日を開くと、『「もっと頑張れ」「それじゃ駄目だ」、そんな何気ない一言でも、相手が真剣に悩んでいるとき、上から目線で話すなら相手の心を傷つけます。逆に、ちょっとした一言でも、相手の苦しみにしっかり寄り添って話す言葉は相手の心を癒します。』と同じように、寄り添う大切さに気付かされます。自分のペースに相手を変えるのではなく、相手のペースに自分をあわせることではないでしょうか。相手の歩みにペースをあわせ、手をとりあって生きていくことではないでしょうか。

 


2、こんなときもあっていい

『こころの深呼吸』3月25日のページには、『ネガティブな考えに陥るのは、心や体が疲れているしるし。疲れがとれれば、自然と前向きな考え方ができるようになります。無理に頑張ろうとせず、「こんなときもある」とゆったり構えて疲れがとれるのを待ちましょう。』と書かれています。どうしてマイナス思考なのだろう?と思う時は、一晩寝ただけで、朝にはすっきり前向きになっていることがあります。そういうときは、片柳弘史神父がいうように、「こんなときもあるさ」とゆったり構えて疲れがとれるのを待つのが、一番かもしれません。温泉にはいるのもよいし、呼吸が浅いときは、ゆっくり深呼吸してみたり、肩の力をぬいてリラックスするのもいいかもしれません。私は布団に入って、メルカリを眺めるのがストレス解消です(笑)。あとは、Youtubeで雨の音を聞くのも、心が洗われる感じがします! 自分なりのリラックス方法を見つけ、「こんなときもあるか」と思い、ゆっくり疲れをとりたいと思います。

 『こころの深呼吸』12月13日を開くと、『体が疲れて動かないときには、決してあせらないこと。「あれもしなければ、これもしなければ」とあせり、心を空回りさせれば、心まですり減ってしまいます。体が動かないときには、自分の限界を謙虚に受け入れ、回復を待つのが一番です。』と書かれています。自分の限界に気づくのが、回復の鍵になりそうだと思いました。失敗したり挑戦したり、いろいろなことをやっていくうちに、人はちょうどよい自分のサイズを知ることができると思います。

 


3、間違ってもやりなおせます

『こころの深呼吸』には、間違えさえもプラスになる、という考え方があります。『こころの深呼吸』1月5日を読むと『すぐれた画家は、間違って引いた線さえ、美しい絵の一部にしてしまいます。わたしたちの人生もそれと同じ。消せない間違いを、いつまでも気にする必要はありません。あきらめずに描き続け、美しい人生の一部にしてしまいましょう。』と書かれています。時に人は失敗して、間違って引いてしまう線があるかもしれません。しかし神さまという芸術家は、その線さえも美しい絵の一部にしてくださるのです。間違えたから、もうやり直しができないと考えるのではなく、イエスに赦されて「神さまに赦されてやりなおせるから、まだ道は続くんだ」と安心してよいと思います。

 生きていると、自分の弱さに出会ったり、思い通りにゆかないときがあります。『こころの深呼吸』1月4日を読むと『すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしかなれません。思った通りにならないからこそ、ときどき思いがけない試練がやってくるからこそ、自分の想像をはるかに超えて成長することができるのです。』と書かれています。自分のできることは精一杯して、あとは神さまにお委ねする。それで、十分ではないでしょうか。

  片柳弘史著『ぬくもりの記憶』には、「将来が心配になるのは、心のどこかで「自分の未来はこうでなければならない」と思っているからだろう。苦しくなるのは、自分の人生が自分の思った通りにならないからなのだ。だとすれば、いますべきことに次々と取り組んでいるうちに新しい可能性が見つかり、「必ずしも道は一つではない。他にも、いろいろと道はありそうだ」と思えるようになったなら、将来への心配は薄れるに違いない。」と書かれています。道は一つではなく、様々な道があっていいと思えた時、希望の出口に向かって進んでいるのではないでしょうか。

 


4、マザー・テレサの言葉より

『日めくり超訳マザー・テレサ』(PHP)
『日めくり超訳マザー・テレサ』(PHP)

失敗しても、

また始めればいいのです。

マザーテレサ

~すぐれた画家は、間違った線を引いても消さずにそのまま描き続け、間違った線さえ美しい絵の一部にしてしまいます。わたしたちの人生もそれと同じ。失敗を、いつまでも悔やむ必要はありません。あきらめずに最後まで描き続け、失敗さえも美しい人生の絵の一部にしてしまいましょう。

片柳弘史著『日めくり超訳マザー・テレサ』(PHP )より