2018年に出版された『始まりのことば』(教文館)と似た構成になっています。
366日の日めくりで、聖書の言葉と一緒に片柳神父の短い言葉が書かれています。疲れた時や、失敗したときに手をとるとき「まだやりなおしができる」という力が与えられます。
たとえば本書の3月18日をひらくと、ヨハネ福音書6章39節の聖書の言葉に、「何度失敗したとしても、神さまがわたしたちに愛想をつかすことはありません。大切なのは、わたしたち自身が自分に愛想をつかさないことなのです。」と片柳神父はかいています。日常でよく失敗する私にとっては、繰り返しゆるされることを知ると、なんだかホットします。
その他にたくさん力づけられた言葉がありますが、以下に記してみたいと思います。ジャンルはわかりやすいように、私が勝手に分けてみました。
(※印以下が私の感想です)。
7月13日
主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で
人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
(創2・7)
~朝を迎えられたことに感謝して、
息を大きく吸いこむとき、
わたしたちの体は
喜びと力で満たされます。
新しい1日を、深呼吸から始めましょう。
※これを読んで感謝から1日をはじめてみようと思いました。ついバタバタして朝がざわつくので呼吸をととのえて「今日も神さま助けてください」とサポートをたのみたいと思いました。
なにもかも一人でしようとすると、私は不安になります。しかしサポーターがいると「なんとかなるだろう」と楽観的になります。今日も決して一人ではない。そう感じる言葉でした。
あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、
最も偉い者である。
(ルカ9・48)
~誰一人として見下さない人。
どんな相手の中にも自分にはない
よさを見つけて敬える人。
すべての人の下に立つその人こそ、
本当に偉い人なのです。
~※本を読んでの感想です。
ルカとは、新約聖書におさめられているイエスの生涯や教えを記録した本(福音書)のひとつです。福音書は4つあります(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)。ルカは医師でした。 競争社会の中でつい、他人の弱さを探してしまうことがあります。それは、いつも自分にビクビクして弱さを隠そうとしてるから、そのストレスが原因だと思いました。 花でもそうですが、見る視点を変えるとまた違った表情をみせてくれて、新しい発見をします。隣人も違った角度からみたら、良いところがたくさん見つかると思いました。 そのためには、自分の弱さに対しても「完璧でなくても、自分のできることを精いっぱいしたらそれで十分だ」と、満足することが大切だと思いました。 自分にも優しく、他人にも優しい視点を向けて、他人の良さを見つけてすごしてゆきたいと思いました。
12月29日
この種のもの(汚れた霊)は、
祈りによらなければ
決して追い出すことはできないのだ。
(マコ9・29)
~大切なのは、神さまの手に委ねること。
わたしたちの力ではできないことでも、
神さまならば必ずできる。
その信頼が、奇跡を起こすのです。
~※本を読んでの感想です。
私は失敗するとすぐ落ち込んでしまいます。一度思いこむと朝から晩まで悔やんで、生活に支障がでてしまいます。
しかし精いっぱいしたあと「助けてください」と神様に委ねると、自分の執着から自由になると思いました。自分一人でなにもかもできると過信すると、なんでも自分の責任にしがちです。自分の限界を謙虚にみとめ、苦手なことを認識し、仲間と助けあってゆきたいと思いました。
1月1日
生かすためにこそ
神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
(知1・14)
~神さまがわたしたちを造ったのは、わたしたちを生かすため。難しく考える必要はありません。生きてさえいれば、それだけで十分に価値があるのです。
~※本を読んでの感想です。
私は仕事がなかなか覚えられず「あなたは仕事ができない」と評価され続け、すっかり落ち込んでしまいました。
しかし本書を読んで、「生きてるだけで価値がある」と聞いて嬉しくなりました。社会では、いつも「あなたは何ができるか」で評価されやすいと、私は思います。しかし「私がわたしであるだけで価値がある」と言われると、胸が暖かくなります。シンプルに「私は神さまにあいされている」と信じ、すごしてゆきたいです。
1月24日
どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
わたしはだれの死をも喜ばない。
お前たちは立ち帰って、生きよ。
(エゼ18・31ー32)
~死んでしまった方がよい人など、だれ一人としていません。どんなことがあっても、わたしたちはかけがえのない命。神さまは、わたしたちが生きることを望んでおられるのです。
~※本を読んで思ったことです。
10月17日
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
(ヘブ11・1)
「すべての命は、
神さまに祝福された尊い命。
どんな人生にも必ず生きる意味がある」、
強くそう願い、確信する心こそ信仰です。
~※本を読んでの感想です。
祝福された命と聞いて、「あなたは産まれてきてくれて本当に良かった」と聞こえました。殻にこもって自分の頭の中で色々考えても、思い詰めて苦しくなります。しかし、外に目をむけて聖書の言葉に耳をすますとき「あなたは大切な存在」とよびかけてくださるイエスの優しい言葉が聞こえてきます。
12月26日
起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主(しゅ)の栄光はあなたの上に輝く。
(イザ60・1)
~「わたしは愛されている」と確信するとき、
わたしたちは輝き始めます。
顔が輝き、人生そのものが輝き始めるのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んでの感想です。
イザとは、旧約聖書のイザヤ章です。 私は心の病で入院したとき、朝から「私はつまらない人間」と頭でこだましていました。優しい看護師さんや医師や、ご飯を作ってくださる方や清掃してくださる方、そして聖書の言葉や片柳神父の本によって、「私は愛されている」とつぶやくようになりました。 それから、「死ねつまらない」と聞こえた時は、「私は愛されているから、大丈夫。」というようになりました。そんな入院生活を送っていたら、心も落ち着いてきて退院することができました。 日常生活でつらいときは、いつも「私は神さまに愛されている」とつぶやくようにしています。
2月5日
主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。(ヨハ21・17)
~どんなに相手を愛していても、不安や恐れ、よくない思いに引きずられて裏切ってしまう。神さまは、そんな人間の弱さを知り、そんな弱ささえ、あるがままに受け入れてくださる方です。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より ~※本を読んでの感想です。 ヨハとは、新約聖書のヨハネによる福音書です。 なにげない言った言葉で相手を傷つけたり、怒らせてしまうことが、私にはありました。ある日、声をだすのも怖くなり、言葉がでなくなりました。しかし、弱さも愛されると感じたときから、なんだか落ち着いてきました。少しずつ声もでるようになりました。 完璧な人間はいなく、だれもがどんなに努力しても失敗をしてしまうときがあります。しかし、強さも弱さもまるごと、神さまはツツミコンデくださる方。失敗を笑うのではなく、失敗もゆるし、弱さを抱えた人間同士。たすけあってゆきたいです。
3月21日
主であり、師であるわたしが
あなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに
足を洗い合わなければならない。
(ヨハ13・14)
~互いに足を洗い合うとは、
互いが、ありのままの自分を
相手にさらけ出すということ。
あるがままの相手を受け入れ、
互いに愛しあって生きるということです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
5月8日
わたしの父の家には住む所が
たくさんある。
もしなければ、あなたがたのために
場所を用意しに行くと言ったであろうか。
(ヨハ14・2)
~神さまは、
弱さや欠点を抱えたわたしたちを、
あるがままに受け入れてくださる方。
神さまの家では、
すべての人に居場所があるのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より ~※本を読んでの感想です。 しあわせは遠くではなく、そばにあるよう思いました。居場所は、聖書からきこえてくる「あなたは愛されている」に耳をすましていたら、居場所が見つかるように感じました。 愛されるために、他の誰かに変わる必要はないと思います。今日も、私は私でいられることを感謝します。
12月1日
わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は
決して乾くことがない。
(ヨハ6・35)
~体の飢えはパンで癒やせますが、
心の飢えを癒せるのは命のパン、
その人の命をあるがままに受け入れる、
無条件の愛だけなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
物に囲まれていても心が渇いているときがありました。同じものを通販で何度も買ったり、次々に新しいものをほしがった時がありました。
人にはもちろん、栄養を支えるパンは必要です。しかし「私は愛されている」と感じる、命のパンを食べることも必要だと感じました。
命のパンとは「あなたはどんなときも大切な存在」とよびかけてくださる、神さまの言葉だと思います。それだけあれは、人はどんな状況にいても幸せをかんじられるのではないでしょうか。
貧しくもせず、金持ちにもせず
わたしのために定められたパンで
わたしを養ってください。
飽き足りれば、裏切り
主など何者か、と言うおそれがあります。
貧しければ、盗みを働き
わたしの神の御名を汚しかねません。
箴言30・8-9
~幸せに生きたいなら、
自分の身の丈を知り、
それにちょうどよいものを願いましょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
愛されるために無理に他の人になろうとすると、だんだんくたびれてしまいます。他の誰かではなく、あなたがあなたであるように、神さまは大切につくられたと思います。
また、背伸びしていると自分の気持ちと向き合うことを忘れ、気持ちがどんどん複雑になってしまいます。自分の気持ちを大切にして、身の丈になってリフレッシュしてすごしてゆきたいです。渡辺和子シスターは、次のように書いています。
大事なことは、ひたすらに自分として育っていく”ということなのです。
私たちは、子どもたちがひたすらに自分として育っていくようにと願っているでしょうか。親の期待に添う子どもになることのみを願ってはいないでしょうか。・・・
自分の花を咲かせることが一番大事なのです。
渡辺和子著『愛と祈りで子どもは育つ』(PHP刊)より
10月26日より
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、
わたしに学びなさい。
・・・わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。
(マタ11・29ー30)
~いま背負っている荷物を確認してみましょう。欲張って、身の丈に合わない荷物、自分には大きすぎる荷物を背負い込んでいないでしょうか。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
幸せになるために「あれもなければ、これもなければ」と欲しがり、心が落ち着かない時があります。
いつまでも満たされない心は、「今で十分幸せで、皆さんと神さまに感謝」という時間が少ないからだと感じました。
様々な物によって幸せになろうとするのではなく、いまあるもので感謝してゆきたいと思いました。神さまは、「いまのあなたで十分素敵だよ」といってくださる方。「こんな弱い私が?」と、私は思うときがありますが、神さまの愛を信頼したいです。
余計なプライドなどの重たい荷物はおろして、身の丈のサイズで助け合って暮らしてゆきたいです。
2月19日
わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ
十分に発揮されるのだ。
(2コリ12・9)
~自分の弱さを素直に認め、「もう無理です。あとのことは、わたしを使ってあなたがやってください」と祈りましょう。そのとき、神の無限の力があなたを動かし始めます。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
5月2日
主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。
主は打ち砕かれた心に近くいまし
悔いる霊を救ってくださる。
(詩34・18ー19)
~自分の限界を知って、
打ち砕かれた心を、神さまは放っておきません。
愛を注いで心をよみがえらせ、
必ず立ち上がらせてくださいます。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
7月18日
あなたの内にある恵みの賜物を
軽んじてはなりません。
(1テモ4・14)
~弱くて、欠点だらけの自分でも、
あきらめる必要はありません。
神さまから使命を与えられたなら、
それを果たすために必要な恵みは、
もうあなたの中にあるのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
7月22日
神は知恵ある者に恥をかかせるため、
世の無学な者を選び、
力ある者に恥をかかせるため、
世の無力な者を選ばれました。
(1コリ1・27)
~最初の弟子の中には、
学者も有力者もいませんでした。
知恵や力は必要ありません。
救われるために必要なのは、
飾りけのない素直な心だけなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
主よ、もう十分です。
わたしの命を取ってください。
わたしは先祖にまさる者ではありません。
(王上19・4)
~こう弱音を吐く預言者エリヤを、
神さまは食べ物と水で励ましました。
神さまは、わたしたちの弱音さえ、
祈りとして聞き届けてくださる方。
正直な言葉で、神さまに語りかけましょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
神さまはエリヤに食べ物を与え、ゆっくり休ませました。休むことによってエリヤは体調を取り戻しました。
「辛いことは我慢しないで話してね」と神さまは言ってくださる方ではないでしょうか。ネガティブなときは、疲れがたまっているサインかもしれません。ついつい弱音をはかないで、体がしんどくなるまで突き進んでしまう私。自分の限界を認め猫のようによく遊び、よく寝て、体を休ませてあげたいです。
3月18日
わたしをお遣わしになった方の御心とは、
わたしに与えてくださった人を
一人も失わないで、
終わりの日に復活させることである。
(ヨハ6・29)
~何度失敗したとしても、
神さまがわたしたちに
愛想をつかすことはありません。
大切なのは、わたしたち自身が自分に
愛想をつかさないことなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
一切高ぶることなく、
柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、
平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つように努めなさい。
(エフェ4・2ー3)
~自分の小ささ、
不完全さを知る謙虚な心こそ、
神さまと出会った何よりのしるし。
互いにゆるしあうことができますように。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
正しく生きることは大切かもしれません。しかし、失敗しなければ、人間の本当の姿がわからないと思います。
また失敗しないように自分に厳しく生きる人は、つい他人にも厳しくなり、相手の弱さを責めてしまいます。現実はだれもが弱さを抱え、完璧な存在はいないと思います。だからこそ、たがいにゆるしあい、支えあって生きてゆけると思います。
1月30日
安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
(マコ2・27)
~責任感が強すぎて、休むのが苦手なわたしたち。そんなわたしたちのために、神さまは安息日を定めました。無理に休めというわけではありません。遠慮なく休んでよいということなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
4月29日
大勢の群衆が、教えを聞いたり
病気をいやしていただいたりするために、
集まって来た。だが、イエスは
人里離れた所に退いて
祈っておられた。
(ルカ5・15)
~奉仕するのはよいことですが、
それだけでは疲れ果て、
心がすり減ってしまいます。
ときには退き、
心を癒すための時間を
とりましょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
イエスさえも、静かな場所に退き、神さまとむきあい、ゆっくり休める場所にいきました。私も、寝る前や朝に、神さまとお話しすることがあります。たとえば、今日一番楽しかったことや、これからの予定で心配なことを話します。みなさんも静かな場所で、神様とおしゃべりしてみてください。とても落ち着き、安心する時間が増えてゆくと思います。
6月7日
イエスは、(弟子たちに)
「さあ、あなたがただけで、
人里離れた所へ行って、
しばらく休むがよい」と言われた。
(マコ6・31)
~わたしたちがどれほど働き、
どれほど疲れているか
イエスは知っておられます。
イエスの言葉に従って、
ゆっくり休みをとりましょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
8月22日
神に与えられた短い人生の日々に、
飲み食いし、太陽の下で労苦した
結果のすべてに満足することこそ、
幸福で良いことだ。
(コヘ5・17)
~思った通りの結果は出なくても、
精いっぱい頑張った自分を褒めて、
おいしいものを飲み食いする。
それはひとつの人生の幸福。
聖書はそれを、決して否定しません。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
貧しい人のために、貧しい食事をしようとしたマザーテレサは、「それだとあなたが病気になってしまいますよ」と忠告され考え直したみたいです。だれかを支えるためには、自分が疲れ寝不足だと、共倒れしてしまうでしょう。もし一人でだれかを支えなければならないなら一人で支えるよりも、みんなで支えるほうが仲間がふえ、笑顔がふえると思います。だれかを愛するためにもまずは、自分自身がしっかり休み、よくあそび、よく眠ることが大切だと、私は思います。
お前たちは、
立ち帰って静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある。
(イザ30・15)
~自分の力でどうにもならないことは、
騒がず、静かに受け入れましょう。
信頼して安らかな心で待つなら、
どんなにひどい嵐も、
やがて過ぎ去ってゆくでしょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
7月31日
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、
感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
(フィリ4・6)
~思い煩っても仕方がありません。
心配事はすべて神さまに打ち明け、
神さまの手に委ねましょう。
あとは、神さまが
すべてをよくしてくださいます。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
これらのことを話したのは、
その時(試練の時)が来たときに、
わたしが語ったということを
あなたがたに思い出させるためである。
(ヨハ16・4)
~心配する必要はありません。
イエスは、これからわたしたちに何が起こるか、
すべて知っておられます。
必ず助け出してくださるでしょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
わたしたち一人一人に、
キリストの賜物(たまもの)のはかりに従って、
恵みが与えられています。
(エフェ4・7)
~わたしたち一人一人に、
それぞれ幸せになるために
十分な恵みが与えられています。
必要なのは、その恵みに気づき、
その恵みを活かすことだけです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
私はなにもかも仕事でうまくいかず、「じぶんには才能もなく、なにもできないつまらない人間だ」と思っていました。しかし、たとえ特別なことはできなくても、神さまは「あなたにも、ちゃんと恵みが与えられているから、あなたで十分だよ。あなたはあなただからいいんだよ」と言ってくださることを知り、とても嬉しくなりました。私はあまり仕事を覚えれませんが、このままの姿で助け合ってゆきたいです。
1月15日
わたしは今日も明日も、
その次の日も
自分の道を進まねばならない。
(ルカ13・33)
~一人ひとりに、神さまから与えられた自分だけの道があります。他人の道をうらやまず、まっすぐ自分の道を進むことができますように。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
7月26日
ミシア地方の近くまで行き、
ビティニア州に入ろうとしたが、
イエスの霊がそれを許さなかった。
(使16・7)
~どうしても前に進めないなら、
それは神さまが
止めているからかもしれません。
無理に進もうとせず、
別の道を選ぶのがよいでしょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
昔からの道に問いかけてみよ
どれが、幸いに至る道か、と。
その道を歩み、魂に安らぎを得よ。
(エレ6・16)
~道を選ぶのに迷ったときは、
これまでどんな道を選んだとき、
心からの喜びを感じたか。
どんな道を選んだとき、
みんなを幸せにできたかを、
思い出してみるとよいでしょう。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
12月3日
あなたには多くのことに思い悩み、
心を乱している。
しかし、必要なことはただ
一つだけである。
(ルカ10・41ー42)
~人からどう見られるかを気にしたり、
人と自分を比べたり、人との関係で
心を乱してしまいがちなわたしたち。
必要なのは、自分自身に与えられた役割を、
喜んで果たすことだけなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』(教文館刊)より
~※本を読んでの感想です。
あちこちに手をつけると、自分が何をしているのかわからなくなってしまいます。時にはなにかをあきらめてよいのではないでしょうか。シンプルになると荷物が軽くなって、生活も優しくなると思います。なにもかもできる完璧にこなせるスーパーマンになる必要はないと思いました。今日も助け合ってゆきたいです。
4月21日
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
(マタ11・28)
~重くのしかかる心配事があるなら、
神さまにそれを打ち明けましょう。
一人で背負えば重すぎる荷物も、
誰かに打ち明け、
誰かとともに担うなら、
なんとか背負える重さになります。
6月2日
(イエスは)十二人を呼び寄せ、
二人ずつ組みにして遣わすことに
された。
(マコ6・7)
~二人で見たほうが、
たくさんのことを見られます。
二人で支えあえば、
簡単に倒れることもありません。
二人で心を合わせて祈れば、
そこには必ず愛があります。
※もし調子が悪くて寝込んでも、二人なら助け合うことができます。1人では無理なことも、二人ならできることがあります。なにもかも自分1人で背負う必要はなく、仲間と助けあってゆきたいと思いました。
4月30日
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、
汚れた霊に対する権能を
お授けになった。
(マタ10・1)
~イエスは、性格も職業も考え方も、
まったく違う十二人を弟子に選びました。
弟子たちが、
あらゆる違いを超えて
互いに受け入れあうことが、
神の愛の何よりの証(あかし)に
なるからです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。できることが違うだけです。」
片柳弘史著『日めくりマザー・テレサ』(PHP)より
なにもかもできなくても良いのではないでしょうか。できないこと、できることを知り、力をあわせればよいからです。スーパーマンになろうとして背伸びして疲れがたまっていたら、自分が人間であることを思い出せますように。
火の後に、静かにささやく声が
聞こえた。それを聞くと、エリヤは
外套で顔を覆い、出て来て、
洞穴の入り口に足った。
(王上19・12ー13)
~神さまの声は、
わたしたの心の奥深くから
静かにささやく小さな声。
心を静め、その声にじっと
耳を傾けてみましょう。
※毎日バタバタしていたら、この世界だけの価値観に心が支配されてしまうでしょう。たとえば失敗した時「自分がすべて悪い」と責めてしまうことがあります。しかし神さまは「あなたをゆるす」とよびかけてくださる方。聖書には、ゆるしという世界が広がっています。静かにささやく神さまの声に、耳をすますことができますように。
12月15日
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
(ヨハ12・24)
~自分の殻に閉じこもっている限り、
わたしたちはいつまでも種のまま。
思い込みの殻を破り、
新しい一歩を踏みだしましょう。
※私は何年も「自分は他人に迷惑をかけてしまうから、つまらない人間なんだ」と、自分を責めていました。しかし、それは、自分の思いこみであることに気づきました。片柳神父の書いた本や聖書をとおして、「私はこのままで愛されている」と知りました。時には自分の考えかたをチェックして、それは自分の思いこみでないか、ゆっくり確認できますように。
あなたがたは
わたしに悪をたくらみましたが、
神はそれを善に変え、
多くの民を救うために、
今日(こんにち)のように
してくださったのです。(創50・20)
~神さまは、悪からでさえ、
善を生み出すことができる方。
絶体絶命のピンチでさえ、
チャンスに変えてしまう方なのです。
※ゆるしがないと、相手を責めて追い込んでしまいます。しかし「失敗してもやりなおせるよ」と言われたら安心します。失敗の多い私にとっては、ゆるしは命を潤す水のようなものです。また、失敗した方を責めて追い込むのではなく、「まだやりなおせるよ」と伝え、互いに助け合ってゆきたいです。
失敗しても、
また始めればいいのです。
マザー・テレサ
『日めくり超訳 マザー・テレサ』より
愚かな者たちの目には
彼らは死んだ者と映り、
この世からの旅立ちは災い、
自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる。
(知3・2ー3)
~芋虫が蝶の生活を
想像できないように、
わたしたちは死後の命を想像できません。
死は終わりではなく、
いまより素晴らしい命の始まりなのです。
片柳弘史著『日々を生きる力』 (教文館)より
~※本を読んで思ったことです。
キリスト教の死生観には、死は終わりでなく神さまに帰る、という考え方があると思います。神様の愛は死によって終わることはありません。「わたしはどんなときも愛されている」と確信し、神さまに委ねてゆけますように。